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2021/03/23 16:25

永い歴史のある『五輪塔』という形

お墓といえば縦長の四角形をイメージする方が多いかもしれません。「五輪塔」という形のお墓は平安時代から1300年もの永い歴史があり、五輪塔の五輪とは空・風・火・水・地という古代インドの宇宙観五大を意味しています。五輪塔はそれらを全て備えた仏様そのものを表している由緒ある形です。また『一石五輪塔』とは、一つの石からなる小さい五輪塔で、室町時代から用いられています。鎌倉時代までは一般の方、庶民はお墓は持てず、五輪塔を建てられるのは位の高い高僧や武士でしたが、室町時代からは庶民も小さい五輪塔を置いて供養することが出来るようになりました。今のお墓は位牌型という四角い3段に積み上げられたお墓がほとんどですが、昔は五輪塔が一般的だったのです。


「この世に生きた証。残されたものが思いを馳せる」亀川洋のお墓作り

四代目となる私「洋(ひろし)」は、今や採掘量が減り希少価値の高くなった「本小松石」をどう活かしていくのかを日頃より考えて活動しております。そんな折、都内の墓地へ視察に行くとピカピカの四角い墓石がビルのようにたくさん立ち並んでいました。それを見てふと「故人がこの世に生きた証として、違うお墓の形があってもよいのではないか」「もっと自然物でしかなし得ない風合いが出ても良いのではないか」と思い、「むしり仕上げ」で「五輪塔」を作ることを決意し、今のお墓作りにつながっています。

一打一打、ノミをたたいて一つの石から作り上げる『むしり仕上げ』

墓石は人がしっかりと心を込めて手をかけていると、年月を経ても劣化しません。むしろ風合いが出て美しくなります。時を経ても美しい風合いを最大限に出すために「むしり仕上げ」という一打一打ノミをたたいて作る昔ながらの手工法を用いております。時の流れとともに風雨に打たれながら苔がのり、黒く変化していく。表面にノミ跡が残るむしり仕上げは、「古くならずに深くなる」そのような味わいが出やすい工法でもあります。


高さ約40センチ、重さ約16キロ。小さい『一石五輪塔』

『一石五輪塔』は高さは約40センチ、重さは約16キロと小さいのですが、墓地でお墓としても使用されている他にも、故人の供養塔としてお墓のそばに置いたり、遠方にお墓がある方やお墓を片付けてしまった方がお墓の代わりとして自宅に置いていただいています。伝統技術であるむしり仕上げは手作りならではの温もりがあり、先祖に対する誇りや想い、尊厳のある五輪塔を所有する喜び、あるとホッとする、心安寧に暮らす豊かな時間を感じていただけます。
またペットのお墓としても、愛犬、愛猫ちゃんのお名前を彫ることができますので、あなたの大切な家族の一員である愛犬、愛猫のお墓、供養としてもご利用ください。(文字数の制限はありますが、表記価格内で文字彫りも可能です。)
ぜひ、日本の銘石、東の横綱本小松石を使い伝統あるむしり仕上げで風合い豊かな一石五輪塔で、この世に生きた証として、故人へ最高の供養をしてください。


亀川洋 自己紹介

昭和50年11月27日生まれ。一般的に意志の強い行動派だと言われやすいO型射手座、傷つきやすい性格だと言われやすい卯年生まれです。生まれと育ちは神奈川県足柄下郡真鶴町。趣味は約10年前にダイエットで始めたサーフィンと、平安~鎌倉時代位のお墓やお寺の礎石などを見ることと、渓流釣りが好きな息子に影響されて始めたイワナ釣りです。

石工名は『弥大(みだい)』

昔から神社仏閣に奉納する鳥居や灯籠やお城の石垣、お墓などを造ると石に石工名を刻むのですが、私の石工名は『弥大(みだい)』といいます。
『弥大』は、鎌倉時代の五輪塔に由来する高僧が二文字が多いこと、また私の二人の息子の名前の頭文字を一文字づつ取り、二人の父親という意味も込めて石工名で表現しています。

修行時代

亀川石材店は大正13年創業。4代目の私、洋は小田原市の相洋高校卒業後、当時石屋は儲かっていた感じがしたのでやりたいことも特に無かった私は楽をして儲けれそうだという軽率な気持ちで家業を継ごうと石屋になることを決意しました。今思うととんでもない話ですね(笑)そう父親である 3代目に伝えると「他人の飯を食ってこい」と言われ訳も分からずに石の産地である愛知県岡崎市の石材店に修業に行くことになり 4年間修業しました。修業中は仕事の時間はお墓の制作や建立をし、夜は専門学校である岡崎工学院の石材加工科で石のことを勉強する日々を過ごしました。修業中は職人さんの送り迎えをしたり一番下っ端なので沢山仕事があり苦しい、面白くない、早く家に帰りたいとばかり思っていましたが手加工の技術が覚えられ、ものづくりの楽しさを知ることが出来たので、今思うと、とても良い思い出になっています。石の産地である岡崎には全国から石屋の息子が修業に来ていたので、夜は専門学校である岡崎工学院の石材加工科で学んだ全国の同年代の石屋の仲間とネットワークが出来ました。今でも気兼ねなく付き合いが出来る仲間が全国にいることが私の石屋人生の宝になっています。そして1998年に修業を終えて実家である(有)亀川石材店に入社。修業先の愛知から帰ってくるときにはお嫁さんも、もらってきました(笑)そのことを知っている方からは「君は石屋の修業じゃなくて、花婿修業に行って来たのか」と未だにからかわれます(笑)

人生の転機

修業から帰ってきた私は「本小松石の産地で一番の売り上げを作る、本小松石の産地で一番有名になる」という大きな目標を作り、全国のストーンショーに出展したり、日本石材工業新聞という業界新聞のコラムを月に1回掲載したり活動をしていましたが、2010年に採石場で石を運ぶタイヤショベルの操作を誤り、重さ6トンほどあるタイヤショベルごと坂道の上から転げ落ちました。私は転倒中に運良く運転席の足元の隙間に体が入り、奇跡的にかすり傷で助かりました。足元の隙間に体が入らなければ死んでいたと思います。ひっくり返りグチャグチャになってしまったタイヤショベルを見て「あぁ助かった、生きている。これは誰かが、あなたはまだ生きなさいと言っているんじゃないかな」と思えたのでした。事故前までは商売に対しておなかの中にギラギラとしたものがあったのですが、この事故をきっかけに何をしていても幸せだと思うようになり、本小松石の産地で一番になりたいということよりも、もっと大事なことがあると思うようになったのでした。
売り上げを作ること、有名になることよりも自分が学んだ石屋の技術でお墓を建てるお施主様に幸せになってもらいたい。日本の美しいお墓参りの文化を守りたい。希少な国産材、地域資源本小松石で重要文化財になるような良いものが作りたい。伝統技術「むしり仕上げ」の美しさを世界に伝えたいという想いで制作するようになっていきました。



原点に立ち返り修業時代に教わった技術を活かす

修業先の愛知県で職人さんに技術を教えてもらった「むしり仕上げ」。ノミとセットウを使った昔ながらの加工方法で石を叩いて作っていく仕上げ方です。一打一打叩いてゴツゴツとした表面に制作していくのには、体に負担と手間がかかり、気が遠くなるような作業ですが、ノミ跡が残る表面はとても美しく、時間とともにとても味わいのある表情になります。しかしその一方で、この大変な作業をできる職人が、今ではどんどん少なくなってきています。だからこそ、私は石肌にこの味わい深い表情を作ることができる「むしり仕上げ」の技術、またお墓文化の伝承という目標を掲げて日々制作と伝道活動に励んでおります。むしり仕上げをしている亀川石材店の加工場にぜひ見学に来てください!イベントなどにも出店していますので見ていただけると嬉しいです。 

PICK UP

職人が一打一打、ノミをたたいて作り上げる『むしり仕上げ』。年月を経ても古くならずに深くなる石肌

職人が一打一打、ノミをたたいて作り上げる『むしり仕上げ』。年月を経ても古くならずに深くなる石肌

墓石は人がしっかりと心を込めて手をかけていると、年月を経ても劣化しません。むしろ風合いが出て美しくなります。時を経ても美しい風合いを最大限に出すために「むしり仕上げ」という一打一打ノミをたたいて作る昔ながらの手法を用いております。時の流れとともに雨風に打たれながら苔がのり、黒く表面にノミの跡が残るむしり仕上げは、「古くならずに深くなる」そのような味わいが出やすい工法でもあります。

玄関や庭に置いて空間を飾るオブジェとして、外国の方への日本のお土産としても

玄関や庭に置いて空間を飾るオブジェとして、外国の方への日本のお土産としても

一石五輪塔は昔からある伝統的な形のお墓、供養塔ですが、最近は自宅の庭や玄関、和のお店や旅館、蕎麦屋さんや坪庭などに置いて和の空間を彩るオブジェとしても使われています。重さは約16キロですので大人が1人で持つことができ、1つの石なので置くだけで手軽、簡単に設置出来ます。宅急便でも送れるので大事な方へプレゼントとして送ることもできますし、外国の方や本物志向の方へ日本の良いお土産としてもご利用いただけます。

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